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競歩の話題・歴史など書きました
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 現在、世界選手権、オリンピックは参加標準記録が設けられ
この記録を突破した選手が代表権を得ることができる。

以前は標準記録はなく、ある意味国のトップ選手であれば誰でも出場できた。
しかし、記録のレベルがわからなければ
当然、各国のオリンピック委員会に認められなければ代表に選ばれない。

 そんな状況の中、自国に認めさせ1956年メルボルンオリンピック50kmで
ゴールドメダルに輝いたノーマン・リード(ニュージーランド)に
スポットを当てる。

 1931年生まれのリードはイギリスからの移民である。
メルボルン五輪の年にニュージーランドの市民権を獲得。

 しかし、ニュージーランド五輪委員会は彼の実力をあまり評価していなかった。
隣国オーストラリアは競歩が盛んな国であることに対し
ニュージーランドは盛んではない。
事実、ニュージーランドの競歩代表選手ははリードを含め
前回のアテネまで、僅か5人しかいない(男子4人、女子1人)。

 そのため、彼は認めさせるべく、自費でオーストラリアに渡り、
庭師の仕事をしながらトレーニングに取り組んだ。
 
 そして、その成果はオーストラリア選手権で優勝。

 さすがにニュージーランドでも認めざるを得なくなり
リードは五輪代表切符を掴む。


 メルボルン五輪では20kmが登場し、現在の50km・20km体制が築かれた
最初の大会である。この大会では50kmが先に実施された。
11月24日、50kmはスタートする。

 スタートから首にハンカチを巻いたリードが先頭を引っ張る。
その後ペースアップした集団には付かず、後方から様子をうかがう。
30kmを4位で通過したものの、前を歩いていたソ連勢が
失格、途中棄権が相次ぎ、43km併歩していたでマスキンスコフ(ソ連)を
置き去りにしてトップでスタジアムに戻ってきた。


 オセアニア人初の競歩金メダルであるが、
実は五輪史上50km競歩で、ヨーロッパ人以外の選手が優勝したのは
このリードと1984年ロサンゼルス大会のゴンザレス(メキシコ)の2人だけである。
さらには世界陸上50km競歩はこれまで全てヨーロッパ人が優勝している。

 昨年、ディークス(オーストラリア)が50kmの世界記録をマークした。
果たして彼が今後どのような結果を出してくるか楽しみである


 リードは1994年5月22日、62歳でその生涯を閉じた。
初めてヨーロッパの牙城を崩した選手として、その栄光は永遠に刻まれる。




参考資料:陸上競技マガジン「競歩のオリンピック史」
     ならびに関連サイト
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プロフィール
HN:
rawk
性別:
男性
職業:
IT業
趣味:
競歩
自己紹介:
競技暦11年

国際大会、歴史などさまざまな話題を時には楽しく、時には辛口に週一ペースで書いていく予定です。

内容は私個人の見解を書いています。

日本競歩界の見解ではありません。
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