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競歩の話題・歴史など書きました
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 かつての東ドイツはソ連と並びスポーツ大国として
戦後のスポーツ界を引っ張ってきた。
多くの名選手を産み、ドーピング疑惑などマイナスの面もあったが
一時代を気づいた国である。

 競歩も強豪国として五輪3個の金メダル、
世界陸上では第1回・第2回連覇。
その中で、東独末期から統一ドイツ初期に掛けて競歩界を引っ張り、
親日派として何度も来日を果たしている
ハートヴィック・ガウダーにスポットを当てる。


 東独は戦後のドイツ分断で共産圏となり、ソ連と同じく
スポーツで活躍を見せる。
競歩種目では1968年メキシコ大会男子50kmでヘーネが初の金メダルを獲得。
翌1972年ミュンヘン大会ではフレンケルが男子20kmを制した。
さらに翌1976年モントリオール大会では、男子20kmで2位3位となった。

 その中でガウダーは当時20kmの選手であったが、
26歳の1979年の東ドイツ選手権、いきなり初50km初優勝を飾る。
そして1980年のモスクワ五輪代表に選ばれた。

 この大会は前年のソ連アフガン侵攻により
アメリカ、日本を始めとした西側諸国のボイコットという事態となった。
しかし、競歩に至ってはアメリカ、西独等に強豪選手はおらず、
逆にイタリア、メキシコといった強豪国は参加していたため
全く持ってハイレベルな争いとなった。


 男子50kmは気温30度の暑い中行なわれた。
しかし、暑さにも関わらず最初の5km22分45秒、10km44分41秒、
20km1時間29分35秒のハイペースで進んだ。
30kmからはガウダー、ゴンザレス(メキシコ)、ロパルト(スペイン)が通過。

 既に、この時点で前年のワールドカップ覇者ベルミュデス(メキシコ)は脱落。東独勢もデュンケル、マイシュはいずれも後半失格。
そして残り5kmでトップに立ったガウダーが2位ロパルトに
2分の大差をつけて見事金メダルを獲得。
タイム3時間49分24秒は五輪新記録であった。

 このときガウダーは前年の東独選手権での初50kmから
僅か4度目の50kmレース。強豪メキシコ勢が有利といわれる中
ノーマークに近かったガウダーの優勝となった。


 このとき、もうひとりの東独選手も力をつけていた。
ロナルド・バイゲル。
後にガウダーとともに長くドイツ競歩界を引っ張る選手だ。

 3年後の1983年、フィンランドヘルシンキで第1回世界陸上が開催された。
この大会でもでも東独勢が力を見せた。
50kmで、25歳のバイゲルが優勝(ガウダーは出場せず)。
翌1984年ロサンゼルス五輪は、モスクワ大会の報復で
今度は東側諸国勢がボイコット。
この年にバイゲルは3時間38分31秒と世界で初めての
50km3時間40分(5km22分平均)の壁を破った。

 1987年第2回世界陸上(ローマ)。50kmではガウダーは
同僚のバイゲル、ソ連のイワネンコと競り合い
見事金メダルを獲得した。
このときマークされた3時間40分53秒は、2003年まで長く大会記録となる。

 翌1988年ソウル五輪は残り20kmは5km20分台のハイペースに上がり、
イワネンコ(ソ連)が世界記録に12秒と迫る、3時間38分29秒で優勝。
2位バイゲル(3時間38分53秒)についで、ガウダーが3時間39分45秒の
自己新記録で銅メダルを獲得した。
3人が3時間40分を切ったレースは初めてであった。

 
 日本人にとってガウダーの印象は、やはり1991年東京世界陸上での印象だろう。
ついに2つに分かれていたドイツが統一ドイツとして望んだ東京大会。
うつむき加減で帽子とメガネをかけて、
あの嵐の中の50km、36歳のベテランは最後までソ連勢に食い下がった。
結局35kmでソ連の2人(ペルロフ、ポタショフ)に引き離されたものの
銅メダルを獲得した。このときソ連の2人は肩を組んでゴール、
その直前、ガウダーはスタジアムに戻ってきたのであった。

 翌1992年のバルセロナオリンピック、モスクワ大会から12年
37歳となっていたガウダーは、第2集団から追い上げ6位入賞を果たす。
このときバイゲルが銅メダルを獲得した。

 本来はバルセロナ大会で引退するつもりだったが
翌1993年は地元ドイツ(シュツットガルト)世界陸上のため現役を続行。
38歳でありながら、5月には3時間49分で歩き健在振りをアピール。
レースでは序盤から5km22分台前半ハイペースで引っ張り、
結局25km手前で途中棄権となったが、後輩ノアク(ドイツ)の4位をアシスト。
ガウダーはこのレースで引退することとなる。


 引退後ガウダーは、ウィルス性心臓疾患を患い
97年に心臓移植の大手術を受ける。見事成功し翌年には
ニューヨークマラソン完走を果たす。
そして、自らの競技生活、大病を克服した経験を活かし
自らパワーウォーキングを発案。
講師として日本にも度々来日し、普及に努めている。
事例:http://www.aikis.or.jp/~ohana/ohana608.htm

 大変な親日派で、富士山登頂や青梅マラソン出場など
やはり最後にメダルを獲得した日本という思い入れがあるのだろう。




参考資料:陸上競技マガジン「競歩のオリンピック史」
     パワーウォーキング関連サイト

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プロフィール
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rawk
性別:
男性
職業:
IT業
趣味:
競歩
自己紹介:
競技暦11年

国際大会、歴史などさまざまな話題を時には楽しく、時には辛口に週一ペースで書いていく予定です。

内容は私個人の見解を書いています。

日本競歩界の見解ではありません。
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