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競歩の話題・歴史など書きました
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 女子短距離のマリーン・オッティ(ジャマイカ→スロベニア)は
1980年モスクワオリンピックで20歳で銅メダルを獲得。
ところが、その銅メダルを皮切りに、あまりに銅メダルが多いことから
「ブロンズコレクター」という有難くないあだ名がついた。
実際彼女は7回のオリンピックで5つの銅メダル、また世界陸上でも
よく銅メダルを獲得した。しかし93年のシュツットガルト世界陸上の
女子200Mでついに金メダルに輝く。現在46歳、まだまだ現役である。

 競歩の世界にも隠れた「シルバーコレクター」が存在した。
世界選手権、オリンピックではなかなか勝てなかったのである。
90年代を代表する選手、ミハエル・シチェンニコフ(ロシア)に
スポットを当てる。

 シチェンニコフはジュニア時代から注目されていた選手だ。
19歳で出場した世界ジュニア(86年)10000mW優勝。
翌87年~93年にかけて世界室内5000mWで4連覇を成し遂げた。
88年ソウル五輪にも出場し20km6位。
当時ベテランの多かったソ連勢にとって将来を嘱望されていた。

 その期待通り、数多くの大会で活躍を見せる。
先に挙げた、世界室内では91年に世界記録を出している。
その91年はワールドカップ競歩(アメリカ・サンノゼ)で
ロサンゼルス五輪20km優勝のカント(メキシコ)を破り
チャンピオンにも輝いた。

 そして優勝候補筆頭で向かえた東京世界陸上。
20kmに出場したかれは彼は、序盤は集団の2番手、3番手で構えている。
そして10kmを過ぎて先頭にたつと、一気にペースを上げ
集団はバラバラになった。
15kmを過ぎて、ダミラノ、デベネディクティスのイタリア勢、
スペインのプラッサの4人。すぐにデベネディクティスが遅れ、
優勝争いは3人に絞られた。

 そして残り2kmの下りで、シチェンニコフがスパート。
徐々に引き離して一時は50m以上の差がついた。
ところが、ここからダミラノ(イタリア)が追い上げてきて
ついに競技場手前で並ばれた。
非常に苦痛に満ちた表情が、テレビを見ていても印象的だった。

 そして競技場に入ってきたが、ここでハプニング発生。
丁度100mの予選が中断して、何も準備できていないところへ
2人が帰ってきた。本当なら花壇が並ばれ、あと1周の必要があるのだが
必死なシチェンニコフは、何もないことでそのまま直線ゴールと勘違い。
猛然とスパートをしたが、ゴールではないと知ると一気に気持ちがきれた。
ダミラノに競り負け2位。

 確かにこれが運の尽きでったかもしれない。
翌92年バルセロナ五輪では後半崩れ20km12位に終わった。

 翌93年シュツットガルト世界陸上では
前半ゆっくりとしたペースが災いし、
後半一気にペースが上がり歩型が乱れた。
優勝したマッサナ(スペイン)についで2位で戻ってきたが
スタジアム入り口で失格。このとき3位のガルシア(メキシコ)を含め
7名が競技場内で失格する波乱の展開となった(そのうちの1人が日本の酒井選手だった)。

 しかし翌94年、ようやく花開きヨーロッパ選手権(ヘルシンキ)20kmを大会記録で制した。

 95年は不調だったが、96年アトランタ五輪は20km、50kmダブルエントリー。
20kmは湿度にやられ7位に終わったが、その気象条件を読んで
50kmでは第2集団から攻めた。30kmで先頭と1分以上の差があったものの
徐々に追い上げを見せて、惜しくも優勝したコジェニョフスキー(ポーランド)に
僅か15秒及ばず銀メダルとなった。

 30歳で迎えた97年アテネ世界陸上20kmではスローペースの中、
落ち着いたレース展開を見せたものの、最後はガルシア(メキシコ)の
スパートについていけず、10秒差で銀メダルに終わった。

 彼は翌年からリザルトに名前が出なくなった。
もしかしたら緊張の糸が切れたのかもしれない。

 オリンピック、世界選手権で銀メダル3個。
これだけ取れるだけでも素晴らしいが
やはり金メダルを取れなかったことが
コジェニョフスキーの影に隠れてしまった存在となっている。

 長身を生かしたダイナミックな歩きと
ちょっとニヒルな風貌は独特の風味があった。
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シチェンニコフのコメントに感動
楽しく見せてもらいました。
東京でのシチェンニコフのアクシデントは本気で抗議すれば、先日の山崎選手の誘導ミス以上の社会問題化しかねない大事件だったと思いますが、「あと1周あると分かっていても、私は余力がなかったので勝てなかった」みたいな爽やかなコメントで、一切恨み言がなかったですね。23歳でこんなことが言えるとはできた人だと感動でした。
東京のときはスピードがありながら膝が低くて重厚な歩きだったのに、後年はだんだん軽い感じの歩きになって残念でしたが、一度見たら忘れない顔とも相まって、私の中では一番印象に残っている選手です。今どうしているのでしょうか?
元3流 2007/09/06(Thu)05:59: 編集
>>シチェンニコフのコメントに感動
>>元3流さん
はじめまして。
確かに抗議があれば問題になってたかもしれないですね。今ほどメディアが発達してないころでしたし、シチェンニコフのコメントもあって大きな問題にもならなかったようです。この20kmではむしろ競技場入り口手前で失格となってしまった酒井浩文選手の反響が大きく、失格となったあとテレビ局に何で失格なんだ?と抗議の電話が殺到したそうです。
シチェンニコフの風貌はちょっと独特でした。見れば思い出す方も多いかもしれないですね。現在はどうしてるのかつかめていません。ロシアの場合なかなかそういった情報が入ってきません。ドイツのバイゲル、ガウダーといった選手のその後はわかったいるんですが、ロシアはチャンピオンが多すぎて足取りがつかめません。あのレースで優勝したダミラノは国際陸連競歩委員会委員長として、先日の世界陸上でもコース上を回ってました。
rawk 2007/09/07(Fri)01:05: 編集
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プロフィール
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rawk
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競歩
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競技暦11年

国際大会、歴史などさまざまな話題を時には楽しく、時には辛口に週一ペースで書いていく予定です。

内容は私個人の見解を書いています。

日本競歩界の見解ではありません。
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