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競歩の話題・歴史など書きました
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 世界陸上前最終回は現役選手でもある、
ヘスス・アンゲル・ガルシア(スペイン)にスポットを当てる。
92年に世界大会デビューし、15年経過した現在も健在である。

 我々の常識を超えた歩きを見せ、少なからず技術に影響を与えた。
また、今村文男選手がスペイン合宿で共にトレーニングを行ない
世界陸上6位入賞を果たすなど日本との関わりも大きい。
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 女子の競歩が世界大会に登場したのが、
ちょうど20年前の1987年ローマ世界陸上だった。
オリンピックで4回実施され、まだ歴史は浅い女子の競歩であるが、
タイムは男子顔負けなのが、男女差の少ない競歩の特徴だ。

 その先駆者として、またもっとも偉大なアスリートとして
しばらくは選出されていきそうなケリーサクスビー(現姓ジュンナ)にスポットを当てる。


 競歩の定義は何年かごとに変化を遂げている。
1972年のルール改正でスピードが出やすいルールになった。

 メキシコ勢はハウスレバーコーチのもと
1968年のメキシコ五輪で銀メダルを獲得。
もともと、高地に住んでいることもあって
ヨーロッパのコーチ陣も期待することころであった。
その期待に応え、1976年モントリオール五輪で
バウチスタが初の金メダルを獲得。

 その間、20kmで世界で最初に1時間20分の壁を突破したのもメキシコだ。

 そして1984年には20km、50kmを制した。
その20kmを制し、世界陸上20km初代チャンピオンの
エルネスト・カントにスポットを当てる。

 現在、世界選手権、オリンピックは参加標準記録が設けられ
この記録を突破した選手が代表権を得ることができる。

以前は標準記録はなく、ある意味国のトップ選手であれば誰でも出場できた。
しかし、記録のレベルがわからなければ
当然、各国のオリンピック委員会に認められなければ代表に選ばれない。

 そんな状況の中、自国に認めさせ1956年メルボルンオリンピック50kmで
ゴールドメダルに輝いたノーマン・リード(ニュージーランド)に
スポットを当てる。

 先週の地震の影響で輪島大会の中止が決まり
50kmのみ開催地変更して行なわれることとなった。

 その輪島におそらく多く来日しているのがメキシコである。
日本とメキシコは競歩で非常に結びつきが強く、
その先駆けは故・斎藤和夫氏。
斎藤氏がメキシコ五輪を目指す中、高地トレーニングとして
選んだのが開催地メキシコであった。
そのあと、50kmの日本記録やメキシコ五輪17位など好成績を収め
その経験をもとに斎藤氏は強化委員になってからは
強くメキシコ合宿を推奨。80年代から90年代にかけて
多くの日本選手がメキシコへ渡り、数多くの成果を収める。

 現地の選手ともにトレーニングにあたり、
非常に関係は親密になり、今回取り上げるカルロスメルセナリオや
ホエル・サンチェス(シドニー五輪50km2位)、
ノエ・エルナンデス(シドニー五輪20km2位)、
98年には前年世界陸上20kmの優勝のダニエル・ガルシアを招待に成功。
世界記録を公言し、5km19分30秒で入るなど世界のスピードを見せつけた。

 その中で最も親日家として、関係の深かった
92年バルセロナ五輪50km2位のカルロス・メルセナリオにスポットを当てる。

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プロフィール
HN:
rawk
性別:
男性
職業:
IT業
趣味:
競歩
自己紹介:
競技暦11年

国際大会、歴史などさまざまな話題を時には楽しく、時には辛口に週一ペースで書いていく予定です。

内容は私個人の見解を書いています。

日本競歩界の見解ではありません。
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