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競歩の話題・歴史など書きました
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 先週の地震の影響で輪島大会の中止が決まり
50kmのみ開催地変更して行なわれることとなった。

 その輪島におそらく多く来日しているのがメキシコである。
日本とメキシコは競歩で非常に結びつきが強く、
その先駆けは故・斎藤和夫氏。
斎藤氏がメキシコ五輪を目指す中、高地トレーニングとして
選んだのが開催地メキシコであった。
そのあと、50kmの日本記録やメキシコ五輪17位など好成績を収め
その経験をもとに斎藤氏は強化委員になってからは
強くメキシコ合宿を推奨。80年代から90年代にかけて
多くの日本選手がメキシコへ渡り、数多くの成果を収める。

 現地の選手ともにトレーニングにあたり、
非常に関係は親密になり、今回取り上げるカルロスメルセナリオや
ホエル・サンチェス(シドニー五輪50km2位)、
ノエ・エルナンデス(シドニー五輪20km2位)、
98年には前年世界陸上20kmの優勝のダニエル・ガルシアを招待に成功。
世界記録を公言し、5km19分30秒で入るなど世界のスピードを見せつけた。

 その中で最も親日家として、関係の深かった
92年バルセロナ五輪50km2位のカルロス・メルセナリオにスポットを当てる。

 メルセナリオは1967年生まれ、
ジュニアの時代から頭角をあらわし、87年ワールドカップ(スペイン)で優勝。88年ソウル五輪では21歳ながら7位に入った。
同年代のシチェンニコフ(ソ連→ロシア)とは
良きライバルとして、室内陸上などで競り合った。

 その後、メルセナリオは50kmに照準を絞った。
そして、91年サンノゼワールドカップで50km世界大会本格デビュー。
終盤までペルロフ(ソ連)とデッドヒート、当時世界記録保持者だった
ペルロフはやはり強かった。残り10kmを過ぎてからペルロフが引き離しにかかる。
そのままリードを保ったまま、優勝と思われたが
なんとゴール手前3mのところで失格。
2位を歩いていたメルセナリオが思わぬ形で優勝を手にした。

 東京世界陸上は20kmに出場。
92年バルセロナオリンピックは50kmに出場し
終始、ペルロフ、コジェニョフスキー(ポーランド)、バイゲル(ドイツ)と
バトルを繰り広げたが、ここでもペルロフに置いていかれ
コジェニョフスキーが2位で来ながらスタジアム入り口で失格するという
ハプニングもあって2位にジャンプアップした。

 翌93年ワールドカップ競歩は地元メキシコ開催。
50km見事2連覇を達成する。ちなみに20km、50kmともに優勝した選手は
メルセナリオただ一人である。

 その年の世界陸上(ドイツ)は40kmまで先頭集団ながら
その後大崩して8位に終わった。
それからは調子のいいシーズンを送ることは少なく
95年、99年の世界陸上代表に選ばれたが
オリンピックに出場することはできなかった。

 そんな、メルセナリオも何度か来日している。
特に素晴らしかったのは94年の輪島大会では50km招待。
オリンピック銀メダリストを招聘できたことは
日本とメキシコの親密な関係を物語ってると言えよう。

 今村文男選手やとりわけ仲の良かった小坂忠広選手を引っ張り
今村選手の日本記録(当時・3時間53分29秒)、
小坂選手の自己新(3時間56分36秒)をアシスト。
陸マガでは満足そうな表情を浮かべる、メルセナリオが印象的だった。


 そして、メルセナリオが親日家として最も心に残るエピソードが
小坂忠広選手の結婚式に遠くメキシコから夫妻で来日。
小坂選手とメルセナリオの友情が現れたエピソードだった。 
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プロフィール
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rawk
性別:
男性
職業:
IT業
趣味:
競歩
自己紹介:
競技暦11年

国際大会、歴史などさまざまな話題を時には楽しく、時には辛口に週一ペースで書いていく予定です。

内容は私個人の見解を書いています。

日本競歩界の見解ではありません。
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