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競歩の話題・歴史など書きました
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 競歩の定義は何年かごとに変化を遂げている。
1972年のルール改正でスピードが出やすいルールになった。

 メキシコ勢はハウスレバーコーチのもと
1968年のメキシコ五輪で銀メダルを獲得。
もともと、高地に住んでいることもあって
ヨーロッパのコーチ陣も期待することころであった。
その期待に応え、1976年モントリオール五輪で
バウチスタが初の金メダルを獲得。

 その間、20kmで世界で最初に1時間20分の壁を突破したのもメキシコだ。

 そして1984年には20km、50kmを制した。
その20kmを制し、世界陸上20km初代チャンピオンの
エルネスト・カントにスポットを当てる。

 カントの国際大会デビューは1979年西ドイツ・エシュボルンで行なわれた
ワールドカップ20km競歩。
ここで20歳で6位に入る注目を浴びた。

 翌年のモスクワオリンピックは、
前回の覇者で2万mの世界記録保持者バウチスタ、
20kmロードの世界記録保持者コリン、
それプラスラウルゴンザレスが20kmの代表となり
カントは代表入りを逃した。
しかしメキシコ勢は2人の世界記録保持者が28位、26位に終わり
本来50kmが専門のゴンザレスが6位に入るのが最高だった。

 そして翌年、スペイン・バレンシアで行なわれたワールドカップ20kmで
カントは初の金メダルに輝く。若干22歳の快挙にメキシコ中が沸き返った。

 モスクワ五輪での西側諸国のボイコットから
陸上の世界選手権が誕生した。
その第1回が1983年フィンランド首都ヘルシンキで開催された。
この大会、男子20kmを制したのがカントである。
終盤までプリビリネチ(チェコ)とバトルを繰り広げ
10秒差で世界陸上初代チャンピオンに輝いた。

 ちなみにこの1ヵ月後、ノルウェーのベルゲンで行なわれた
ワールドカップでは逆に10秒差でプリビリネチに競り負けている。


 翌年1984年ロサンゼルス大会。
前回モスクワの報復から東側諸国が大会をボイコット。
競歩はソ連・東ドイツ・チェコが不出場のため、
俄然メキシコ勢が有利となった。

 20km競歩は8月3日17時15分スタート。
序盤5kmはルブラン(カナダ)が飛び出したが
10kを過ぎるとカント、ゴンザレス(メキシコ)、
前回覇者のダミラノ(イタリア)がトップに立つ。

 後半勝負をかけたカントが2位ゴンザレスに7秒、ダミラノに13秒の僅差で
見事金メダルに輝いた。
メキシコは1,2フィニッシュ。さらに50kmでもゴンザレスが金メダルを取り。
メキシコ勢が大会を席巻した。

 このあと、カントは88年ソウル五輪では失格、
このとき金メダルを取ったのが83年世界陸上とワールドカップで
激闘を繰り広げたプリビリネチ(チェコ)だった。

 91年サンノゼワールドカップ競歩ではシチェンニコフ(ソ連)に次ぐ2位に入り
健在振りをアピールしたが、そのあとの東京世界陸上には来日しなかった。
翌92年バルセロナ五輪に出場したものの29位に終わり、現役を退いた。

 その後は、メキシコのスポーツ振興に取り組み、
日本選手のメキシコ合宿ではお世話もしていた。
また、2004年のアテネ五輪では競歩会場のゲストコメンテータとして登場。
現在、48歳である。


自己記録:20km1時間18分40秒(1984年)


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プロフィール
HN:
rawk
性別:
男性
職業:
IT業
趣味:
競歩
自己紹介:
競技暦11年

国際大会、歴史などさまざまな話題を時には楽しく、時には辛口に週一ペースで書いていく予定です。

内容は私個人の見解を書いています。

日本競歩界の見解ではありません。
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