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競歩の話題・歴史など書きました
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 女子の競歩が世界大会に登場したのが、
ちょうど20年前の1987年ローマ世界陸上だった。
オリンピックで4回実施され、まだ歴史は浅い女子の競歩であるが、
タイムは男子顔負けなのが、男女差の少ない競歩の特徴だ。

 その先駆者として、またもっとも偉大なアスリートとして
しばらくは選出されていきそうなケリーサクスビー(現姓ジュンナ)にスポットを当てる。


 1961年オーストラリアのバリーナに産まれた。
10代のころは、水泳と中距離選手として活躍したあと、
1981年地元の陸上クラブに入って競歩に転向した。

 そして25歳の1986年にはグッドウィルゲームスで初優勝。
翌1987年、女子の競歩が初めて導入された第2回世界陸上女子10kmで
ソ連のストラホーワに次いで銀メダルを獲得した。
このレースは暑さのため、ゴールした選手がバタバタと倒れる壮絶なレースであった。

 この銀メダルはまた、ある意味番狂わせであったのである。
実は80年代後半、彼女はのりにのりまくっていた。
室内、トラック、ロードを含め更新した世界記録は実に30回以上!
1500Mを5分台で歩けば、10kmでは41分台をマークし、
このころでも実施されていた20kmでも1時間29分台をマークしていた。

 特に88年にマークした10km41分30秒の世界記録はまさに男子顔負けなのはもちろんのこと。
93年にサルバドール(イタリア)がタイ記録をマークするものの
95年にラマザノワ(ロシア)に1秒更新されるまで、6年間保ちつづけた。
また96年には5000m20分03秒の世界記録をマークして
あわや女子でも19分台に迫った。5000mの方も2002年にオサリバン(アイルランド)に
1秒ほど更新されたが、まだ19分台のタイムはマークされていない。
20kmにおいても、本格化される以前から取り組んでおり、
こちらは94年までキープした。


 これだけ偉大な記録を残しながらも、世界大会での優勝は
1989年ブタベスト(ハンガリー)で行われた世界室内3000mのみ。
当時伸び盛りだったアンデルス(東独)を下しての優勝だった。

 91年東京世界陸上では、世界記録保持者として来日。
常に先頭集団をキープしていたが、ソ連勢のペースアップに置いていかれ
5位に終わった。
さらに女子の競歩最初のオリンピック導入となった
翌92年バルセロナ五輪でも、まったく振るわず15位に沈んだ。

 その後は失格も相次ぎ、かつての実績を残すのが厳しくなっていく中
95年世界陸上9位、96年アトランタ五輪は12位に終わる。
そして97年から20kmへの移行が各国でもスタートし、
サクスビーもこの流れに入っていく。

 そして、初の20km世界陸上となった1999年セビリア大会。
ここで熟年パワーが炸裂する。
10km46分のゆっくりしたペースの中、
15kmまで先頭集団についたサクスビー。
中国勢のスパートに離されワンツーフィニッシュを許したものの
後輩のサビールやイタリア勢を振り切り銅メダルを獲得した。
このとき38歳!



 翌2000年は、地元開催のシドニーオリンピック。
年齢的に優勝候補ではなかったが、地元の期待をサビールとともに集めていた。
すでに39歳の大ベテランとなったサクスビー。
12kmあたりから、徐々に後退してしまいメダル獲得は難しくなったが
メンドーサ(メキシコ)、アルフェルディ(イタリア)、
銅メダルを獲得するバスコ(スペイン)らと第2集団を形成。
この時点で10位前後であったが波乱が起きた。

 まず、16km過ぎで中国の劉が失格。17km地点ではイタリアのペローネが失格して
ここでトップに立ったのがオーストラリアの後輩、サビールだった。
お茶の間で生放送されていたため、国中が金メダル獲得に興奮する。
コース一帯も大騒ぎだ。
周回コースを抜け、スタジアムに向かう1kmの道のりに入ると
さらにボルテージが上がった。
この時点でサクスビーは、世界記録保持者だったグドコワ(ロシア)をかわし
8位に浮上していた。地元オーストラリアは2人入賞の期待が高まる。

 ところが、ここで大事件発生!トップを進んでいたサビールは
哀れスタジアム入り口で失格の宣告。
最後一人になった時点で2枚切られていたのだった。
慎重に歩を進めてはいたものの、審判の目はごまかせなかった。

 2位につけてた王が変わって金メダルを獲得。
サクスビーは7位でフィニッシュした。
このサビールの失格は、その後の競歩界を揺るがす出来事に発展。
再度競歩の定義について見直しが図られるきっかけとなった。

 翌2001年の世界陸上(エドモントン)大会で41歳のサクスビーは
オーストラリアナショナルチームのキャプテンを担った。
レースの方は失格に終わったが存在感を示し
この大会を最後に引退。



 
現在は主婦として、またオーストラリアジュニアチームのコーチとして
後進の指導に勤めている。
また、2006年にオーストラリア近年25年間のベストアスリートに選ばれた。

2004年のアテネ五輪で男子20kmでディークス、女子20kmで前回競技場手前で
失格となったサビールが雪辱のして、2つの銅メダルを獲得したオーストラリア勢。
サクスビーの残した経験が、新しい時代に活かされていた。


参考資料:
IAAFアスリートガイド
WomenAustralia
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懐かしいです。
サクスビー選手を初めてTVで見たのはバルセロナのワールドカップ競歩のときです。前評判が良く(日本のアナウンサーがそれを力説していました。)ところがレースはイタリアのサルバドールがリードしていたが、新鋭のアンデルスに優勝をさらわれたのでしたが、個人的にはサルバドールの歩きが素晴らしいと思いました。アンデルスは少し跳ねている様に思いましたがどうでしょう。
鈍足 2007/07/07(Sat)08:17: 編集
無題
>>鈍足 さん
ご返信遅くなりました。サクスビーは東京世界陸上とシドニー五輪では動きが違いましたね。東京大会のころはパワーを生かしたダイナミックな歩きでしたが、シドニーでは腕振りをやや抑えてバランスを取りながら足を回すという動きでした。サルバドールは完全なピッチ歩でしたね、軸のぶれない感じで。アンデルスは東独のジュニア時代と東京大会、シドニーと微妙に腕振りで固定されていて、それで抑えているような歩きだった気がします。年齢とともに技術を変えている印象ですね。
うまく説明できなくてすみません。
rawk 2007/07/10(Tue)00:48: 編集
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rawk
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男性
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IT業
趣味:
競歩
自己紹介:
競技暦11年

国際大会、歴史などさまざまな話題を時には楽しく、時には辛口に週一ペースで書いていく予定です。

内容は私個人の見解を書いています。

日本競歩界の見解ではありません。
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