競歩の話題・歴史など書きました
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ギネスブック(現ギネスワールドレコード)、
アイルランドのビール会社ギネス社が1951年にスタートした
世界記録集である。
人類の偉業を記したものから、思わず笑ってしまう珍記録まで
その数は多種多様に登る。
陸上競技も世界記録、世界選手権の記録などが掲載されている。
その片隅に競歩が誇る、とある記録がひっそりと載っている(今年度の日本語版にはありません)。
それは、競歩がいかに熟練と経験を要する種目であるかを物語る
偉大な記録である。
その主人公ロイド・ジョンソン(イギリス)の戦歴を紹介する。
アイルランドのビール会社ギネス社が1951年にスタートした
世界記録集である。
人類の偉業を記したものから、思わず笑ってしまう珍記録まで
その数は多種多様に登る。
陸上競技も世界記録、世界選手権の記録などが掲載されている。
その片隅に競歩が誇る、とある記録がひっそりと載っている(今年度の日本語版にはありません)。
それは、競歩がいかに熟練と経験を要する種目であるかを物語る
偉大な記録である。
その主人公ロイド・ジョンソン(イギリス)の戦歴を紹介する。
1900年7月生まれのジョンソンは23歳のとき全英選手権で3位に入った。
しかし翌24年のパリオリンピックは代表に選ばれなかった。
このパリ大会は前にも書いたとおり、競歩界にとって最初の危機であった。
7/9に行なわれた予選(10000m)の第一組でキューネル(オーストリア)は
序盤からリードを奪い、前半で2位に200m以上のリードを付けていた。
ところが4500m付近で失格を宣告されてしまう。
この光景を理解できなかった旧同盟国のドイツ、オーストリア、ハンガリーの
応援団が興奮して危険な状態となった。
そのときの審判がアメリカ、イギリス、フランスといった連合国で
占められたのも誤解を産んだ要因と見られる。
その後、キューネルはドイツ語しか話せず、審判からの宣告を
理解できなかったという救済措置により決勝を進出を許されたが
結局、決勝でも彼は失格となってしまう。
このようなトラブルが重なり、翌1928年のアムステルダム大会では
競歩の削除されてしまった。
ジョンソンはアムステルダム大会もこのように代表入りが出来なかった。
そして翌1932年ロサンゼルス大会、50kmとして復活した競歩であったが
ジョンソンも国内では代表候補に入っていたが
遠征費の都合から、イギリスはグリーンただ一人の代表となってしまう。
グリーンはこの大会、4時間50分10秒のタイムで金メダルを獲得した。
翌1936年ベルリン大会、ジョンソンはようやくイギリス代表として出場した。
8月でありながら50km当日は17度という涼しい気候の中、
スタートを切る。しかしジョンソンは中盤遅れてしまい17位に終わる。
この大会で優勝したのが、後に審判長として競歩界の発展にも努めることになる
同じイギリスのホイットロック。彼は前回ロサンゼルス大会の記録を
20分も上回る4時間30分41秒4のタイムをマークした。
そしてこの後、オリンピックは戦争の影響をもろに受ける。
1940年アジアで初めて開催される予定だった東京大会は
第2次世界大戦の影響を受けて中止。
1944年ロンドン大会も同じく中止と、スポーツにとっては大変痛い時期である。
しかし、ジョンソンの情熱は衰えていなかった。
そして戦後初のオリンピックとなった1948年地元ロンドン大会、
7/31に行なわれた男子50kmに彼の姿があった。
マルティーノ、ジョージ・ホイットロック(ベルリン大会優勝者のホイットロックの弟)と3人で出場。
終盤独歩となったリュングレン(スウェーデン)から7分後
年齢を感じさせない堅実なレース運びでジョンソンは3位で戻ってきた(4時間48分31秒)。
2位のゴーデル(スイス)とは僅か14秒。
人生初のメダルは48歳と15日、オリンピック陸上競技史上最年長メダリストととして
後世にその名を刻んだ。
http://www.bbc.co.uk/history/british/modern/olympics_1948_gallery_08.shtml
その後彼がどのような人生を歩んだかは掴めていない
しかし、競歩界の発展に努めたのではと理解する。
その努力は1960年ローマ大会50km(トンプソン)、
1964年東京大会20km(マシューズ)とイギリス勢金メダルに導く。
そして1984年、彼はその生涯を終えた。
戦前戦後でイギリスは競歩種目で6個の金メダルを獲得している。
しかし、東京大会以降イギリス競歩界はメダルを取れていない。
その衰退振りは、かつての競歩王国の面影すら残していない状況で
前回2004年アテネ大会では、男女を通じで代表なしという事態である。
比較的競歩が盛んで、ロンドンの公園では少年の競歩大会も
開かれる国であるが、その強化は進んでいない。
近年イギリス陸上は全体的に競技レベルが上がっていない気がする。
90年代はクリスティー(男子100m)、ガネル(女子400mH)、
エドワーズ(男子三段跳び)、バックリー(男子やり投げ)といったスター選手が存在した。
スター不足に泣くイギリス陸上界であるが
2012年ロンドンオリンピックに向けて人材発掘が進む。
競歩でも新たなスター誕生を望みたい。
参考資料:陸上競技マガジン「競歩のオリンピック史」
しかし翌24年のパリオリンピックは代表に選ばれなかった。
このパリ大会は前にも書いたとおり、競歩界にとって最初の危機であった。
7/9に行なわれた予選(10000m)の第一組でキューネル(オーストリア)は
序盤からリードを奪い、前半で2位に200m以上のリードを付けていた。
ところが4500m付近で失格を宣告されてしまう。
この光景を理解できなかった旧同盟国のドイツ、オーストリア、ハンガリーの
応援団が興奮して危険な状態となった。
そのときの審判がアメリカ、イギリス、フランスといった連合国で
占められたのも誤解を産んだ要因と見られる。
その後、キューネルはドイツ語しか話せず、審判からの宣告を
理解できなかったという救済措置により決勝を進出を許されたが
結局、決勝でも彼は失格となってしまう。
このようなトラブルが重なり、翌1928年のアムステルダム大会では
競歩の削除されてしまった。
ジョンソンはアムステルダム大会もこのように代表入りが出来なかった。
そして翌1932年ロサンゼルス大会、50kmとして復活した競歩であったが
ジョンソンも国内では代表候補に入っていたが
遠征費の都合から、イギリスはグリーンただ一人の代表となってしまう。
グリーンはこの大会、4時間50分10秒のタイムで金メダルを獲得した。
翌1936年ベルリン大会、ジョンソンはようやくイギリス代表として出場した。
8月でありながら50km当日は17度という涼しい気候の中、
スタートを切る。しかしジョンソンは中盤遅れてしまい17位に終わる。
この大会で優勝したのが、後に審判長として競歩界の発展にも努めることになる
同じイギリスのホイットロック。彼は前回ロサンゼルス大会の記録を
20分も上回る4時間30分41秒4のタイムをマークした。
そしてこの後、オリンピックは戦争の影響をもろに受ける。
1940年アジアで初めて開催される予定だった東京大会は
第2次世界大戦の影響を受けて中止。
1944年ロンドン大会も同じく中止と、スポーツにとっては大変痛い時期である。
しかし、ジョンソンの情熱は衰えていなかった。
そして戦後初のオリンピックとなった1948年地元ロンドン大会、
7/31に行なわれた男子50kmに彼の姿があった。
マルティーノ、ジョージ・ホイットロック(ベルリン大会優勝者のホイットロックの弟)と3人で出場。
終盤独歩となったリュングレン(スウェーデン)から7分後
年齢を感じさせない堅実なレース運びでジョンソンは3位で戻ってきた(4時間48分31秒)。
2位のゴーデル(スイス)とは僅か14秒。
人生初のメダルは48歳と15日、オリンピック陸上競技史上最年長メダリストととして
後世にその名を刻んだ。
http://www.bbc.co.uk/history/british/modern/olympics_1948_gallery_08.shtml
その後彼がどのような人生を歩んだかは掴めていない
しかし、競歩界の発展に努めたのではと理解する。
その努力は1960年ローマ大会50km(トンプソン)、
1964年東京大会20km(マシューズ)とイギリス勢金メダルに導く。
そして1984年、彼はその生涯を終えた。
戦前戦後でイギリスは競歩種目で6個の金メダルを獲得している。
しかし、東京大会以降イギリス競歩界はメダルを取れていない。
その衰退振りは、かつての競歩王国の面影すら残していない状況で
前回2004年アテネ大会では、男女を通じで代表なしという事態である。
比較的競歩が盛んで、ロンドンの公園では少年の競歩大会も
開かれる国であるが、その強化は進んでいない。
近年イギリス陸上は全体的に競技レベルが上がっていない気がする。
90年代はクリスティー(男子100m)、ガネル(女子400mH)、
エドワーズ(男子三段跳び)、バックリー(男子やり投げ)といったスター選手が存在した。
スター不足に泣くイギリス陸上界であるが
2012年ロンドンオリンピックに向けて人材発掘が進む。
競歩でも新たなスター誕生を望みたい。
参考資料:陸上競技マガジン「競歩のオリンピック史」
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競技暦11年
国際大会、歴史などさまざまな話題を時には楽しく、時には辛口に週一ペースで書いていく予定です。
内容は私個人の見解を書いています。
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