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競歩の話題・歴史など書きました
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 旧ソビエト連邦。世界一の領土面積を誇り、共産圏諸国の主軸として
冷戦時代、絶大な権力を維持した。そして、国家を挙げた支援体制による
スポーツ大国としてのイメージが強い国である。

 1992年の崩壊まで、オリンピックでは対アメリカとのメダル数争い、
また、バレーボールや体操など日本との関わりも大きい。
これは私の考えであるが、同じ共産圏だった東ドイツがドーピング問題で
批判がある一方、旧ソ連ではあまり聞かない。
むしろ、数多くの選手を産み出した強化体制への評価が高く
「伝統」となって各独立したソ連諸国に引き継がれているように思える。

 その旧ソ連黎明期に男子20km競歩で2度金メダルに輝いた
ウラジミール・ゴルブニッツを取り上げる。

 ソ連が初めてオリンピックに登場したのは、1952年ヘルシンキ大会。
295名の大選手団を送り込み、23個の金メダルを獲得し注目を浴びた。

 翌、1956年メルボルン大会では実に37個の金メダルを獲得してトップに踊り出た。
そして競歩でも世界をあっと言わせる快挙を成し遂げる。
この大会で初めて登場した男子20kmで1位スピリン、2位ミケンナス、3位ユンクと金銀銅メダル独占を果たした。
現行の20km、50kmでは後にも先にも史上唯一のメダル独占である。


 そして翌1960年ローマ大会でゴルブニッツはデビューを果たした。

 ゴルブニッツは当時24歳、ソ連代表にはなったものの、国際的には無名の選手だった。
そして20kmレース当日、ローマは30度を越す猛暑となった。
その暑さにも関わらずハイペースで進む。
10kmを過ぎると選手もバテテきてメダル候補が次々と脱落していく。
他のソ連選手2人が失格する中、ゴルブニッツが2位に9秒の僅差ながら初優勝を飾った。



 翌1964年東京大会、ゴルビニッツはコンディションの調整に失敗し
10kmの時点で優勝したマシューズ(イギリス)に30秒ほどの差を付けられる。
後半に入ってさらに調子を落とし、マシューズに2分25秒を付けられ3位に終わった。



 東京大会後、ソ連チームの若返り策の中、28歳のゴルブニッツは
国内選手権、国際レースなどで多くの勝利を収め、
1968年メキシコ大会の代表切符を掴んだ。

 高地で行なわれたメキシコ大会だが、実力どおりの結果が出る競歩は
さほど問題は無く、20kmの序盤からソ連勢が引っ張る。
15kmもゴルビニッツとスマガのソ連勢が後方を引き離してトップで通過。
そして残り1.5kmでゴルブニッツがスパートすると、勝負ありかと思われた。

 ところが、ここから後方4位につけていた地元メキシコのペドロサが猛然と追い上げてきた。
そして、競技場に入るとペドロサはまずはスマガを逆転、さらにゴルブニッツに迫る。
観衆は地元ペドロサの声援で地響きが起こる。
結局4m差で振り切ったゴルブニッツが2大会ぶりに金メダルに輝いた。

 レース直後、「あの距離で差が詰められるはずがない」と歩型に対して
ソ連コーチが猛抗議。しかしその訴えは却下されペドロサは銀メダル獲得。
ゴルビニッツは20kmでは史上唯一の2個目の金メダルを獲得した。

(↓写真は1968年メキシコ五輪の競り合い・先頭)
http://www.sporting-heroes.net/athletics-heroes/displayhero.asp?HeroID=2745



 翌1972年ミュンヘン大会は、東ドイツ勢の台頭でソ連勢は厳しい戦いが予想された。
20kmは東ドイツ、西ドイツ、ソ連の3カ国が競り合う、15kmを過ぎてから
東ドイツの3人がゴルブニッツを徹底マーク。
その中から抜け出したフレンケル(東ドイツ)が東ドイツに初の競歩金メダルをもたらす。
13秒差で2位にゴルブニッツが続いた。
ゴルブニッツはこのとき36歳、4大会連続メダル獲得の大偉業を成し遂げたが
まだまだ競技に対する情熱は衰えず、翌1976年モントリオール大会を目指すことになる。



 1976年モントリオール大会は50kmが実施されず20kmのみが行なわれた。
なぜこうなったかについては、いずれ書くこととする。

 50kmの選手も20kmを目指すことになり、代表選考も今まで以上に
厳しかったことだろう。しかし40歳のゴルブニッツは見事代表となった。

 レースの方はこれまでのヨーロッパ中心のメンバーにメキシコ勢も加わる。
そして序盤からのハイペースにベテラン勢は後退。
結局メキシコのバウチスタが金メダルを獲得。この活躍は後にメキシコが
競歩王国なっていく原動力となった。ゴルブニッツは7位に終わった。



 モントリオール大会後、ゴルブニッツは競技生活に終止符を打つ。
実に5回のオリンピックで金2、銀1、銅2と偉大な記録を残した(※)。
国際陸連が20世紀最も優秀なアスリートを発表したが
20km競歩ではゴルブニッツが選ばれた。

 ソ連は1992年に崩壊したが、ゴルブニッツの伝統は引き継がれ
ペルロフ、ポタショフ、イワネンコ、シチェンニコフ、マルコフ、
女子でもスタンキナ、イワノワ(いずれもロシア)らが活躍し、
最近は若手の台頭もあり、現在もなお世界一の層の厚さを保っている。
これからも世界の競歩界、スポーツ界を引っ張っていくことだろう。




参考資料:陸上競技マガジン「競歩のオリンピック史」


(※)競歩でのメダル数4個はコジェニョフスキー(ポーランド)と並んで史上最多。
また同じ種目で2個以上金メダル獲得しているのも、ゴルブニッツとコジェニョフスキーだけである。
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プロフィール
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rawk
性別:
男性
職業:
IT業
趣味:
競歩
自己紹介:
競技暦11年

国際大会、歴史などさまざまな話題を時には楽しく、時には辛口に週一ペースで書いていく予定です。

内容は私個人の見解を書いています。

日本競歩界の見解ではありません。
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